『ユダヤ人を命がけで救った人びと』(読書感想文)

 私はナチスについて、ホロコーストについて何も知らない。そう思い知らされる一冊だった。

 私がこの本を読むきっかけとなったのは、東京2020オリンピックだ。我が妹が敬愛してやまない小林賢太郎氏がオリンピック開会式の演出から突如”解任”された。「人を傷つけない笑い」を目指している人だと常日頃から聞いていた。そんな人が、他にも何十年も前の過去を理由に”辞任”させられた人はいるなかで1人だけ、直前も直前に”解任”。原因となったコントもホロコーストを容認するものではなかったというのに。

 小林氏はなぜ解任されたのか。ホロコーストとはいったい何なのか。

 ナチスによる独裁政権、自分なら絶対にいやだ。ユダヤ人大量虐殺、自分のことじゃなくても最悪だ。私が知っているのはここまでだ。ナチスホロコーストは、その内容を詳しく語られる前に”悪”と断定され、議論の余地がないように感じる。わかる、悪いのはわかるが、そこで思考停止してもいいのか?学校の教科書や、子ども向けの図鑑や、『アンネの日記』に書かれた以上のことをきちんと知りたい。そう思って、ナチスについて、ホロコーストについて本を読み始めた。

 『ユダヤ人を命がけで救った人びと ーホロコーストの恐怖に負けなかった勇気』という題名の通り、この本ではナチスのみならず、当時ヨーロッパで多くの非ユダヤ人がユダヤ人を迫害する中、命がけでユダヤ人を救った人びとが描かれている。アメリカで編集され、その後日本語訳された本なので、フランス、オランダ、ポーランド、イタリア、デンマークとさまざまな国からアメリカに移住してきた「正義の異邦人」の話が収録されている。

 ここで描かれる「正義の異邦人」は口をそろえて言う。「そうしないではいられなかった」「人として当たり前のことをしたまで」と。そうしてそんなに強いのか。確かに、苦しんでいる人がいたら助けたいと思うのは自然なことだし、人として当たり前のことかもしれない。でも、当時ユダヤ人を救うことは、今、日本で、私が捨てられた子猫にえさをやるのとは違う。生きている人間を隠れて養うことはどれだけ難しいのだろう。もし見つかれば自分捕まるのに。家族が酷い目に遭わされるかもしれない。自分も大切な人も、殺されるかもしれないのに。

 ドイツの支配の度合いや歴史文化などから、個人のみならず地域ごとにユダヤ人に対する思いも違いが大きかったようだ。日本は物理的に外国と隔てられ、日本語を話す日本人ばかりだからか、ユダヤ人に対して特別嫌悪感をもつ人は少ないように思う。「大量虐殺されたかわいそうな民族」ぐらいに考えている人が多いのではないだろうか。少なくとも、私はなぜユダヤ人が差別されるのか大学生のときに調べるまでわからなかったし、今でも感覚としてつかめているとは言い難い。正直、宗教や人種の違いで殺そうとする意味がわからない。無知ゆえだろう。

 ただ、そういう地域ばかりではない。ポーランドでは、一部が直接ドイツに併合され、中心部一帯はドイツ人の完全な管理と統治下に置かれた。スラブ人種ゆえに低級であるとナチスに見なされたポーランドでは、国民はナチスに対して団結して抵抗し、ドイツ人への侮蔑や密輸など、ドイツ人に知られたら殺されるような行動は密告されなかった。一方、ユダヤ人をかくまう行為はポーランド人の間でも好ましくない、容認されないと考えられたという。そのため、ポーランド人がユダヤ人をかくまうのは孤独な闘いでもあったと書かれている。

 デンマーク政府は、デンマークは中立国であり、デンマーク国内のユダヤ人はデンマーク人であり、区別は許さないと主張し続けたそうだ。だからデンマークユダヤ人を助けても同じデンマーク人から迫害されることはなかったと。ブルガリアでも、ブルガリアで生まれたユダヤ人はブルガリア人とし、ブルガリア政府は国民の保護を主張したそうだ。

 フランスのル・シャンボン村では、村ぐるみでユダヤ人をかくまったという。ル・シャボン村一帯にユダヤ人が隠れ住むのを助けたトロメク夫妻の話も収録されている。

 最初は、最初のユダヤ人をうちに迎え入れたときは、人が訪ねてきたからドアを開け、家に入れた。それだけのことだった。それがどういう結果をもたらすかなど考えもしなかった。人が思うほどたいへんなことではなかったのだ。

 上は、先述のトロメク夫人の言葉だ。「たいへんなことではなかった」はずがない。確かに、ユダヤ人をかくまわなくても、食料はずっと不足していただろうし、空襲の危険もあったはずだ。でも、何度も逮捕されながら見ず知らずの他人にまで優しくするのは誰にでもできることではない、と思う。きっかけは人が訪ねてきたからドアを開け、家に入れた。それだけかもしれない。しかし、ドイツにも親戚がいた夫妻は、そのとき、既にユダヤ人をかくまうのはどういうことなのか、少なくとも知識の上では知っていたと思うのだ。それでも彼らはドアを開けた。ユダヤ人を助けた。それだけでなく、トロメク牧師は協会の役員会にはかり、村の協力も得ている。村人は協力して多くのユダヤ人を救った。それはなんと得難いことなのだろう。

 恥ずかしながら、ヨーロッパ史がさっぱりわかっていないので、この本を読むまでイタリアやフランスまでもが、第二次世界大戦中、こんなにもドイツの強い影響を受けていたとは知らなかった。最終的に勝った連合国側はもっと余裕があったのかと誤解していた。ユダヤ人がドイツ国外に逃げたという話もあるのだから、他の国ではユダヤ人を助けたところがあったのだろう、ぐらいにぼんやりと考えていた。今考えればなんという甘さ。確かにスイスやスウェーデンに逃れた人もいる。それを手助けした人もいる。フランスのル・シャンボン村では村ぐるみでユダヤ人を助けた。それでも、どれもそれは簡単なことではなかったのだ。

 同時に、神経質ともいえるぐらい、ヨーロッパ諸国がナチスを憎む理由がほんの少しだけわかるような気がする。ある国の、ある人物が、権力をもったがゆえに凶行に及んだ、だけではないのだ。喜んでやったわけではない、それでもナチスユダヤ人を引き渡した人、引き渡しに協力せざるを得なかった国は多かった。連合国側はアウシュビッツに積極的に関わろうとしなかった。加害者に加担してしまった。その罪悪感があるゆえにナチスが憎いのではないか。一口にヨーロッパといっても、ユダヤ人への差別が強い地域とそうでない地域がある。キリスト教の中でもカトリックプロテスタント、いろいろあって考えも違うし、ユダヤ教の受け止めも違うだろう。でも、ユダヤ人を皆殺しにしたいと強く願う人なんて少なかったんじゃないだろうか。誰だって自分の手を汚したくはない。でも、自分自身の命や尊厳、大切な人、大切な国民の生命、財産、国として最低限の領土、主権。みんないろいろ大切なものがあるから、ユダヤ人を犠牲にしてしまった。そんな気持ちが少しでもあったら、ナチスは憎いだろう。加害となった人、地域も、被害となった人、地域も、ホロコーストには触れられたくないもので、ましてやどのような立場であれ、軽々しくコントにされたくはないのだろう。

 副題は「ホロコーストの恐怖に負けなかった勇気」とある。第三章では、思いやる勇気についての意見が扱われている。ホロコーストが行われる中、民衆は恐怖のただなかにあったはずだ。だから、間接的に加害者になった人や傍観者になった人が多かったのだ。そのなかでユダヤ人を救う勇気には敬服するしかない。

 しかし、優しさや勇気だけで人が救えるのだろうか。その優しさや勇気が迫害の対象となるときに。宗教心とも少し違うと思う。昔少数派だったという理由だけでもない。プロテスタントカルヴァン派で昔迫害されたから、という理由で勇気がもてるならカルヴァン派はみんなユダヤ人を助けていたはずだ。ジェンダーも多少は影響するのかもしれない。女性が主要な役割を果たしたと言われれば確かにそうかもと思うが、他の地域だって女性はたくさんいるのだ。それに、我が子を第一に考える母だっている。そのときユダヤ人を救うのはリスクが大きかったはずだ。

 「正義の異邦人」たちは口をそろえて言う。「人として当然のことをした」と。でも、非常時にどれだけの人が他人のことまで考えられるだろうか。私ならば、ユダヤ人の境遇に心を痛めるだろう。でも、具体的な行動をできるかと聞かれれば、できると断言は、とうていできない。私には「人として当然のこと」はできないかもしれない。

 今、私はこの本を読み終えて、多くのことを知った。ホロコーストは広い範囲で行われ、ヨーロッパの多くの国が巻き込まれていたこと。自分の身の危険を顧みず彼らを助けた人がいたこと。かくまう、逃亡を手助けする、食料を届ける、保護する、見て見ぬふりをする、自国民であると主張する、何も知らなくても「村の子だよ」と保障する、いろいろな手段で助けたこと。たくさんのユダヤ人が殺された中で、助けられ、生き延びたユダヤ人もいたということ。そしてきっと、この本に描かれてはいないけれど、誰かを助けた、名も知らぬ人がいるだろうということ。

 同時に、考えなければならないことがたくさんあることもわかった。なぜ、ドイツは、ヨーロッパは、世界はヒトラーナチスの台頭を許したのか。なぜ、ユダヤ人が迫害の対象となったのか。なぜ、人が人を殺すということがまかり通っていたのか。なぜ、連合国側すら、強制収容所ユダヤ人を救うことができなかったのか。なぜ、困っている人を助けるという、「人として当然のこと」が個人レベルですら許されず、自分や大切な人の身も危うくする行為だったのか。

 訳者あとがきに編者キャロル・リトナーの言葉が引用されている。

 今の時代にホロコーストを教えるのは、学生たちに、「ホロコーストは”たまたま起きた”のではなく、誰かがこうしようと”決めた”結果である」ことに気づいてほしいからだ。

 自分の行動がどんな結果をもたらすかに思いを馳せ、行動とともにその結果にも責任があることを、学生たちには学んでほしい。

 今、終戦から76年が経つ。当時のことを覚えている人はもう高齢化し、亡くなった方も多い。日本でも戦争体験を話せる人、当事者意識をもっている人はすごく少なくなった。それはヨーロッパも同じだろう。戦後の混乱もおさまり、今こそ冷静に第二次世界大戦のときのことを少しだけ客観的に見られるときではないだろうか。海を隔て、遠く離れた日本だからこそ、考えことができるのではないだろうか。

 ホロコーストは災害でも疫病でもない。人が人を殺そうとした結果なのだ。絶対的な悪だ。だからこそ、ちゃんと考えなくてはならないと思う。「人として当然のこと」ができる世の中であるためにはどうしたらいいのか。自分の行動に責任をもつことは当然のこと。私はこれまで無知だった。今でも無知だ。だから学び、知り、考えていかなければならない。

 

参考文献

キャロル・リトナー、サンドラ・マイヤーズ編,食野雅子訳,『ユダヤ人を命がけで救った人びと ーホロコーストの恐怖に負けなかった勇気』.河出書房新社.2019