アウシュヴィッツを志願した男;ポーランド大尉、ヴィトルト・ピレシキは三度死ぬ(読書感想文)

 「ポーランド大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ」

 副題があまりにもピレツキの人生を表している。

 ポーランド大尉のヴィトルト・ピレシキは、アウシュビッツに自ら入り、自ら出た唯一の人間である。アウシュビッツ内では、武装地下組織を作り上げ、囚人たちによる武装蜂起を可能にした。アウシュビッツ脱出後は、ナチスに代わってポーランドを支配したソ連に抵抗した。しかし、今度のピレツキはソ連の傀儡と化したポーランド新政権に捕らえられ、同胞のポーランド人によって処刑された。

 祖国のため潜入したアウシュビッツの中で生き延びるだけでも大変なことなのに、ナチスに見つかることなくこれだけのことを成し遂げたピレツキはどれだけ優秀なのか。ナチスによる支配が終わり、平穏かに見えても、あくまでポーランドの独立を勝ち取るために最後まで戦い続けたピレツキの意思はどれほど強いのか。 

 アウシュビッツでの彼の目覚ましい活躍は、彼自身のレポートが日本でも出版され、そちらが詳しい。既読の『アウシュヴィッツ潜入記』では、収容所の劣悪な環境と、その中での彼の功績を読み取ることができた。本書でも、『アウシュヴィッツ潜入記』の内容はおおいに参考にされ、十分にアウシュビッツでの出来事を知ることができるが、本書は潜入記では軽く触れられるにとどまった、脱出後のことにも詳しい。もちろん、アウシュビッツでの生活がいかに過酷なものだったかは本書からも痛いほど伝わってくる。潜入記の訳者とは違う訳で、またピレツキ自身、時間がなく完璧ではないといった文章をわかりやすく順序たてて書いている分、潜入記の邦訳よりも頭に入ってきやすい。しかし、潜入記既読の私にとっては、脱出後の彼の人生の方にこそ、やりきれなさを感じる。一つは外の世界、特に西側諸国の無関心さ、もう一つは祖国ポーランドの裏切りによって。

 収容所内にいたころから、アウシュヴィッツの内情をピレツキはあらゆる手段を使って、英国にあるポーランド亡命政府に送っていた。地下組織も整い、いつでも蜂起できる状況だった。それでもイギリスおよび亡命政府は空爆に踏み切らなかった。ナチスと戦うためにワルシャワ蜂起がなされたときも、ソ連ポーランドの兵士、市民を見殺しにした。ワルシャワ蜂起でボロボロになったポーランドを、ソ連が支配したときも、英米は黙認した。ポーランドはずっと、強国によって見捨てられ、すり減らされていた。

 状況がわからなかったとはいえ、アウシュヴィッツが快適な環境であるとは誰も思わなかったはずだ。そこへ潜入し、生き延び、組織を作る彼が祖国を愛さなかったはずがない。潜入記でも、本書でも、彼の祖国を愛する気持ち、ポーランド人としての誇りは痛いほど伝わってくる。にも関わらず、よりにもよってソ連の影響下にあるポーランドで、彼は同胞に拷問を受け、あげく見せしめとして国家転覆罪で死刑にされる。ピレシキは愛するポーランドに裏切られて死んだ。

 少しでも救われることがあるとすれば、ごく近年になってからだがポーランドがピレツキを英雄として扱うようになったことだ。ピレツキの死刑判決は無効とされ、英雄と認められ、名誉市民の称号が与えられ、切手が発行され、公園や記念碑が設置され、名前を学校や組織やロータリーに使われ、テレビで特集が組まれた。外国に情報を売ったなどというピレツキの人生からはありえない汚名は返上され、ピレツキの名誉は回復した。しかし、自ら志願してアウシュビッツに潜入するようなピレツキは、そのような個人の名誉よりもポーランドの発展を祈っているのではないだろうか。

 本書はピレツキの潜入記や多くの書籍も参考にしているが、ピレツキの遺児、アンジェイ、ゾフィアへのインタビューからの情報が多く盛り込まれている。社会主義の敵は祖国の敵とされ、苦しい生活を送ってきた彼らが、インタビュー当時は晴れやかな表情だったというのが心からよかったと思う。

 ポーランドは歴史的に見ても、ドイツやロシアなど、隣国に分割されることが多かった。大戦後も長くソ連支配下にあった。しかし、東欧の中ではいち早く民主化を成し遂げ、非社会主義政権が発足してすぐに、ポーランド司法はピレツキの名誉回復のために動いた。ピレツキが愛し、誇ったポーランドは確かに続いているのだろう。

 ピレツキのように、祖国を愛し、祖国のために自分の才覚を余すことなく活用することができるのは素晴らしいと思う。もちろん、愛国が行き過ぎ、他者を排斥し始めればナチスと変わらない。かつてのポーランドのように、他国に分割され、支配され、蹂躙される国が二度と生まれなければいい。すべての国の住民が、自分たちに、自分たちの国に誇りをもって生活できればいい。